この映画を思い返そう 「永遠の0」

最近、映画「永遠の0」を久しぶりに観ました。

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2013年公開の映画なので、今年で10周年ですね。この映画は、僕が軍事の世界にのめり込んだきっかけでもあります。

2015年、僕が小学校3年生の夏に「金曜ロードSOW」の地上波初放送で観たのが始まりです。あの当時はただ単に、「登場する戦闘機がカッコいい」としか考えておらず、そのストーリーとか、戦争の悲惨さなんかは考えもせず見ていました。

まあ戦闘機でのめり込むのも無理はないですよね。まだ小学生だったし、この映画に登場する「零式艦上戦闘機」、ゼロ戦といったらわかりやすいでしょうか。このゼロ戦が結構リアルで、原寸大模型が制作されたほか、唯一現存するオリジナルエンジンで飛行可能な零戦からエンジン音が収録されたらしいですから。

そこから軍事の世界に足を踏み入れた小学生の僕は、10歳にして図書館の戦争関連の本を読み漁り、戦闘機や軍艦など海軍に関する知識を身に着け、周りの大人から怖がられるほどのミリオタになっていました。今は完全に陸軍派です。

そんな話はさておき、映画の概要を語っていきましょう。

あらすじ

司法試験に落ち浪人中の佐伯健太郎と、出版社に勤める姉の恵子は、祖母である大石松乃の葬儀からしばらくたったある日、祖父・賢一郎が自分たちの実の祖父ではないこと、そして血の繋がった本当の祖父の存在を知らされる。

本当の祖父の名は「宮部久蔵」。彼は太平洋戦争末期の終戦間際に、特攻で戦死した「日本海軍のパイロット」だったという。

健太郎と恵子は、新聞社主宰の終戦60周年記念プロジェクトで、特攻隊員であった祖父について調べていくことになる。戦友会などを通じて、祖父の関係者9人に取材を行うが、祖父について教えてもらったことのほとんどがこうだった。

「宮部は海軍一の臆病者」「帝国海軍の恥さらし」。宮部は戦場では戦いを避け、逃げ回ってばかりの役立たずだと。

祖父に関する否定的な情報から、次第に調査に意力を無くしていく健太郎だったが、今の健太郎と同じ26歳で戦死した宮部がどんな男だったのかを知りたいと母・清子から頼まれ、再び調査に乗り出す。

だが調査を進めるにつれて、宮部がただの臆病者ではないことを知った。かつての部下であった伊崎源治郎氏から聞かされたのは、宮部は戦闘機の操縦に関して超一流の腕前を持っていたということ。宮部が戦場で逃げてばかりだった理由は、「生まれたばかりの娘・清子に会うまで死ぬわけにはいかないから」。

愛する妻と娘のために、絶対に死ぬわけにはいかない。超一流の技術を持っていたにも関わらず、戦いを避け続け、臆病者と言われた祖父。しかし、そんな祖父が「なぜ特攻隊に志願したのか」という事実によって謎は深まっていく。

実は久蔵は、特攻出撃の際、自機が整備不良であることを悟り、これに搭乗すれば生還できるにも関わらず、その機を前途有為な学生パイロットに譲る。そのパイロットこそ、もう一人の祖父・賢一郎であった。

調査を続け判明した「祖父が特攻を選んだ理由」。それは未来ある若者が次々と特攻で死んでいく中、自分だけが生き残り続けることが許せなかったから。自分の命を守り続けるより、その命を未来ある若者に託すべきだったから。

 

国の為に命を捧げるのが当たり前と言われた時代。そこに生きた人々の生き様を記す、壮絶な物語であった。

 

キャスト

 

キャスト陣は錚々たる方々ですね。

三浦春馬さんの事はは非常に残念でした…。ご冥福をお祈りします。

 

当時小学生ながらに、元軍人の役を演じられた「橋爪功」さんや、「田中泯」さんの演技には感服しておりました。

 

最後に

「永遠の0」では、戦争を体験した元軍人が語り部となり、現代を生きる若者がそれを聞いて生き様を知っていくという展開となっています。

もうすぐ戦後80年という節目の年を迎えますが、戦争体験者の方々の高齢化が進み、当時の体験を語れる人間はほとんどいなくなっています。

その記憶を途絶えさせないために、若者が様々な活動を通して繋いでいくべきなのではないでしょうか。

ですが戦後と呼べる期間はもうすぐ終わってしまうのかもしれませんね。「今の日本は平和だ」「もう戦争はしないんだ」と言い張る人間が大多数いるようですが、それは所詮幻想に過ぎません。

この世に平和などというものは存在しない。強いて言うなら「平和のようなもの」。その幻想に縋って備えを怠るのは怠慢であります。我々日本人は、いかなる時にその幻想が壊れてもいいように、国家的精神の備えをするべきなのです。

 

お付き合いありがとうございました。コメントなどあればどうぞ。