こんにちは 山海です。
これが第一回目の記事になるんですけど、最近ウクライナ情勢がまた騒がしくなってきたので、軍事回で行こうと思います。
少し小難しい話も入ってくるかもしれませんが、ニュースを観てぼんやりとしか理解できていない方でも、ざっくり程度にはわかるような話にしますので、お付き合いください。
このへんの話がわかって多少説明できるようになると、
たぶんモテます。(女性にとは言っていない)
ここ数か月くらいですかね、ウクライナについて報道するニュースで「バフムト」という都市での戦闘の様子が出てくると思います。
それがなぜなのか、一種の解説としてザックリとお伝えしようと思います。
1.なぜバフムトが今になって報道されるのか
戦争が始まって数か月の頃とかは、よく「マリウポリ」や「ハルキウ州」なんて名前を報道でよく耳にしたと思います。
それらの都市は、ウクライナにとってもロシアにとっても非常に重要な都市だから、ロシア軍もかなりの兵力を集中させてくるわけです。
バフムトも、当初はマリウポリ攻防戦やドンバス地方での重要な戦闘があり、あまり報じられることはなかったという記憶があるのですが、バフムトでも同じ時期からロシア軍の攻撃があったわけです。
戦争に大事なことはいくつもあります。
国民や兵士たちの士気もそうですし、戦いに必要な物資を作る工場だって必要です。
マリウポリはウクライナでも有数の工場地帯で、ハルキウ州はウクライナで首都に次ぐ大都市であり、日本でいうところの大阪みたいな感じです。
こんな感じで、いろいろと重要なものが集まる場所は戦略的価値が高いので、敵も集まってくるわけですね。
要はそれで戦闘が一層激しくなるので、日本含めた海外メディアの目も激戦地バフムトへ向くのです。
こんな大事な場所を失えば、ウクライナは経済的にも国民の士気にも悪影響を及ぼしますから、ロシア軍も何とかして奪いたいでしょう。
ハルキウ州では依然として防衛が続けられていますが、マリウポリは去年陥落してしまいましたね。
2.バフムト戦が長期化してきた理由
ただ、前線で軍隊が戦い続けるにはもっと大事なことがありまして。
それが補給と進軍ルートなんです。
軍隊っていうのは戦えば当然消耗します。
食料だって無くなるし、武器弾薬もどんどん消費し、兵士が死んでゆけば代わりの兵士を補充しなくてはなりません。
だから必要な物資は、後方から交通網を使って輸送してくるのですが、バフムトにはそれに必要な道路や鉄道など、主要交通網がかなり通っているんです。
そして主要な交通網というのは、敵に渡ってしまうと進軍の拠点となってしまい、そこから続く幹線道路を使って周辺への敵の侵攻を許してしまいます。
結果、バフムトを喪失すると以下のことが起こります。
- 補給ルートの喪失による周辺ウクライナ軍の弱体化
- 周辺へのロシア軍の侵攻容易化
ザックリ言えばこんなところです。
その他にもいろいろな見解がありまして、
ウクライナ軍はバフムトで、橋を爆破してロシア軍が渡河できないようにしたり、塹壕を何重にも掘って要塞化を進めたりしています。
現在他の地域では反転攻勢が続く中、バフムトでは防御に徹しながら時間を稼ぐ。
いわゆる遅滞戦闘が行われています。というのもロシア軍は、軽装備の兵士たちを大量に、波のように突撃させる損害を顧みない人海戦術を行っていて、それに対してウクライナは防御に徹してロシアの死者数を増やし続けることが目的のようです。
こんな具合で戦闘が続いたことによって、バフムトでは実に一年以上にも渡る戦いが行われているのです。
3.過去の似た事例と比べて
本記事で紹介したことと似た事例は、過去にいくつもありますので抜粋して紹介しておきます。
1.補給がなくなると
補給の話で一番わかりやすい例で言ったら、日本軍とドイツ軍でしょう。
多くの人が教科書で太平洋戦争のページを見たとき、食料がなくてガリガリに瘦せ細った日本兵を目にしたことがあるかもしれません。
あれは、本来なら海上輸送で南方の島々へ物資を届けなくてはならなかった日本軍が、制海権(海の支配権)を米軍に奪われてしまったために、食料が届かなくなりあの状態になりました。
ドイツ軍は第二次大戦のとき、ソビエト連邦に侵攻した時のことでした。
ドイツ軍はあまりに早い進軍を行ったために、補給部隊が前線を行く戦闘部隊に追いつかなくなり、侵攻速度が急激に落ちました。
それでも各地で勝利を修めたドイツ軍は、首都モスクワの攻略を開始します。
しかし、前線部隊の補給不足のために満足な攻撃力を発揮できませんでした。
そうしてグダグダしている間にロシアの冬がやってきました。
あまりの寒さに作戦はとん挫し、結果ソ連軍の反撃を受け、大きく戦線を押し戻されました。
どちらも補給の重要性を表す良い教訓ですね。
2.バフムトでの消耗戦
前述したとおり、バフムトではできるだけロシア軍の死者を増やさせる消耗戦が続いていますが、時はさかのぼること100年。
第一次世界大戦のドイツ軍とフランス軍の間で起きたヴェルダンの戦いでも同じことがありました。
1916年、泥沼の塹壕戦へと発展した世界大戦は国家単位での攻城戦と言える状況でした。
ここでドイツ陸軍参謀総長のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインは、ヴェルダンの要塞地帯に敵を密集させて徹底的に叩き、できるだけ敵の血を流させて継戦能力を喪失させる作戦を立てます。目標はヴェルダンの占領ではありません。
結果、この戦いでは両軍合わせて70万人以上の死者が出ました。
攻守は逆ですが、バフムトでの作戦とよく似ていますね。
まとめ
今回は第一回の記事だったので、著作権に引っかかるのが怖くてマップや戦況図を掲載できませんでした。
文字ばかりでとても見ずらかったと思います。ごめんなさい。
次回から上達を目指して投稿してまいります。
ご覧いただきありがとうございました。